Sanctuary

「静寂」

「雲の上の山水」

建仁寺奉納作品《Japanese Sanctuary》
「静寂」と「雲の上の山水」の意図
土佐尚子が建仁寺に奉納した《Japanese Sanctuary》は、単に「日本的な美」をデジタル技術で表現した作品ではない。建仁寺のページでは、本作は禅と神道に基づく「静けさ」と「ダイナミズム」を表現する作品として説明され、《静寂》と《雲の上の山水》の二作品から構成されている。
《静寂》は、建仁寺の庭に斜めに伸びていた約200年のモチノキをめぐる作品である。その木は数年前の積雪によって倒れ、現在は存在しない。つまりこの作品は、失われた自然を単に記録するものではない。消滅した木の時間、記憶、気配を、建仁寺という場に再び立ち上げる試みである。
一方、《雲の上の山水》は、飛行機の機内から撮影された1000枚以上の雲の写真によって構成された山水であり、右から天国・煉獄・地獄を表している。ここで山水は、伝統的な水墨画の図像として引用されているのではない。雲という現代的な視点、移動する身体、空中からの知覚によって、山水が新たに生成されている。

土佐は日本文化を図像として引用していない。
むしろ、静けさ、消滅、気配、死後の時間、山水的空間を、生成の構造として再構成している。
重要なのは、《Japanese Sanctuary》は、デジタル技術がここで未来性や新奇性を示すためではなく、失われた自然と宗教的空間の記憶を再び経験させるために使われている点である。
《Sound of Ikebana》が、音によって裸眼では見えない一瞬の形を取り出す作品だとすれば、《静寂》は、すでに失われた木の存在を、静けさの中に再び立ち上げる作品である。
《雲の上の山水》は、山水を描くのではなく、雲と移動と視点によって、山水が生まれる条件を作っている。
したがって、この奉納作品の核心は日本文化が持つ、見えない時間と霊性の構造を、現代の技術によって再び発生させている。
この意味で《Japanese Sanctuary》は、土佐作品における「生成」の問題を、自然現象から日本文化・霊性・寺院空間へと拡張した重要な作品である。
それは、伝統の再現ではなく、伝統が再び現れる条件をつくる作品なのである。

Collection

建仁寺